留学生-勉強の動機
中学ないしは高校から留学を考える生徒たちの動機の一つに、「なぜ勉強するのか分からない」ということがあります。本人がそれを常に疑問に思い、試行錯誤の結果、「留学をしてみよう」という思いに至るよりも、若いのに生活に覇気がなく、自室に閉じこもりがちといった状況を見かねて、親が留学を積極的に考えるケースが目立ちます。
本人の会ってみると、社会的常識に欠けるわけでもなく、生活に無気力といった雰囲気も感じられません。「なぜ、勉強するのか」という質問をしてみると、大学に入学するため、社会に出るための準備のためなどといった、ごく当たり前の回答が帰ってきます。
親の不安をよそに、本人は留学をしても、しなくてもそれなりの人生を送っていくのではないかと思います。それでも我が子に留学をさせたい親の意識の根底には、「これからの時代に英語は絶対必要だから」ということよりも、「かわいい子には旅をさせろ」という無意識ともいえる苦労に対する価値観があるのではないかと思います。
あまりにも満たされていて、ほしいものは何でも手に入るという生活にこそ、親の危機感があるのではないでしょうか。勉強は、目標に向かって行うものとすれば、満たされた日常を過ごしている子どもたちに「目標を持て」といっても納得できないでしょう。
ではどうしたら将来に対して、より明確な目標が持てるようになるかというと、甘くはない現実世界を体験させるのがいいということにならないでしょうか。
親子の考え方のギャップは、その生い立ちにおける生活環境の違いから生じるのかもしれません。すべてが満たされているどころか、不満足なことばかりの幼少期を過ごしてきた親にとって、努力目標となる素材は日常にありました。しかし、今、子どもたちの努力目標は理屈では、うまく語ることができても、実際はそこに到達するための必死の努力などする必然性は感じることができないのです。
個性と自主性を重んじ、責任のある行動をするという教育的努力目標は、掲げることができても、どのようにしてそこに到達するかという具体的な教育作業の変革がなければ、到底、子どもたちは納得することはできないでしょう。
英語圏への留学は、陸の孤島に行くことに他なりません。我が家から遠く離れ友や先輩もいなく、生活習慣の異なる異文化のなかでの生活です。当然のことながら、今までの生活がいかに恵まれていたか、親の存在が自分にとっていかに感謝すべきものであったかを即座に理解できることになるでしょう
つづく