教育は自己実現のために
仕事が自己実現のためにあるように、教育も自己実現のためにあるべきと思います。しかし、日本の初等、中等教育においては、教育が自己実現のために機能しているとは思えません。
本来、教育は社会に貢献するために人々が生み出した英知だと思います。歴史を学ぶのも、実生活ではおおよそ無縁な代数学を学ぶわけも、自然や天体について知ることも、ITなどの先端技術を学ぶことも、結局、人々がより豊かで幸せに暮らしたいということに結びついているのではないかと思います。
それらは、高等教育から行われることでは決してないと思います。
人は万能ではありません。誰にでも、得手不得手があります。そのなかで、何を伸ばすことで、それぞれの人が社会に生き生きと貢献できるかを見極めることも教育の極めて重大な役割と思います。
日本においては、初等、中等教育では、専ら覚えることが中心です。とにかく知識を増やすことのために、子どもたちの自分探しの根本となる好奇心の追求や好きなことを自由な発想で行うという時間は、取れません。
そんなことをしていれば、受験勉強が遅れてしまう。1日遅れれば、それを取り返すのに1週間かかり、そのしわ寄せは、子どもたちの自由時間をより奪ってしまいます。
それが継続的に行われれば、当然のことながら、子どもたちは覚えることの量が多い方が優れているという価値観を持つようになります。
小さなころから、覚える量を試験に合わせて体系的、合理的に学ぶことには、かなりの費用がかかるようです。日本の高等教育機関、その最高学府の学生のみを家庭教師として雇ったあるお母さんによると、一年間の総費用は、アメリカボーディングスクールの年間費用どころか、スイスのボーディングスクールのそれと同等の費用になったと言います。
子どもたちは、大学の試験に受かってから改めて社会貢献を考えられるでしょうか。知っていることイコール、自らの考えによる行動とはなりません。いくら知識を増やしても、自分の特性や個性を知ることにはなりません。
自分をより大切にしてください。そのために、教育は存在し、教育を通じての自己実現をもって、社会に貢献するのが、これからの教育の理想形であると私は信じています。