休日コラム お盆
「お盆て何」、お盆休みの連休が始まる初日に、
剣道の稽古に来ていた小学生の妹が自分のお兄さんに尋ねていました。
「知らない」が小学生のお兄さんの答えでした。
ご先祖さまの霊をお祀りする日本の伝統行事という簡潔な答えを、
彼らは、スマホや自分の家にあるパソコンで見つけるでしょうが、
小学校の高学年の子どもが、「お盆」という単語の意味を知らないことが、
現代の盲点のようにも思えます。
半世紀前の子どもたちにとって、お盆の時期の楽しみというと
蝉取りや魚釣りという自然を相手にしたものが主流であったと思います。
自身の思い出のなかに、「お盆に殺生はいけない」ということで、
蝉を取ることも、川に釣りに行くことも母や祖母から
禁じられたような記憶があります。
日が沈むころに、実家であるおばあちゃんの家に行き、
迎え火といって、藁のようなものを大人が燃やすのを親戚の子どもたちと
ながめて、その後、親戚のおじさんたちが、酒盛りをするなか、
母やおばさんたちは、台所で立ち働き、
子どもたちは、おはぎやごちそうを食べていたように思います。
この風習も、四半世紀後くらい、当時の子どもたちが成人に近づくころには、
薄れて、親戚同士が実家に集まるという風習は残ってはいても、
子どもたちは、それに参加しないようになっていったように思います。
話は変わりますが、
お盆にまつわるエピソードの一つに、アメリカでの盆踊りがあります。
岐阜県郡上郡に伝わる「郡上踊り『春駒』を郡上郡美並村の中学生、
30名あまりがペンシルバニア州、ランカスター披露した時のことでした。
村の異文化交体験プログラムで彼らはランカスターを訪れ、
2週間ほどのホームステイをしていたのですが、
日本の文化紹介として、郡上踊りを地元の教会で披露したのでした。
すると、それを見ていた日系三世の若い人が、
これは、死者を現世に呼び戻す踊りであり、私たちにはふさわしくない」
といったことを、受け入れ団体のリーダーにささやいたのです。
私は、それを聞いたとたんに頭に血が上りました。
冷静に考えれば、日米の生死観の違いなのでしょうが、咄嗟に
What are you talking about? This is our traditional folk dance.
We just show the respect to our ancestors.
というようなことを、怒鳴っていたように思います。
敬虔なクリスチャンである現地受け入れ団体のリーダーは、
I do not much about your tradition but this should be all right.
ということで、「郡上踊り」はつつがなく終えることができました。
これからの時代、お盆に蝉取りや魚釣りに夢中になる子どもたちは、
激減していることでしょう。
盆踊りもその起源について、根本的な疑問を提起する
クリスチャンの人たちもいないと思います。
文化の伝承と継続、少しでもそれに貢献できたらと
個人的には思っています。