努力の源
中等教育機関への留学は、苦労や失敗が必ずついてまわります。それでも日本からの留学生たちがそれを乗り越えることができるのは、本人の精神的な強さと、彼らの努力を認めてくれるボーディングスクールという環境がプラスに作用するからだと思います。
ボーディングスクールの生徒評価には、成績点の他に、努力点、クラス参加点という項目があります。中間、期末の大きな試験、授業への参加度、そしてどれだけ努力をしているかというところも評価の対象となります。
「どれだけ努力をしても、結果が伴わなければ意味はない」とボーディングスクールの先生や学校スタッフは考えません。努力がすべて報われなくても、その主体性を評価するということなのだと思います。
努力は人に言われてするものではなく、自らが行うものという観念を習慣づけることで、生徒たちの学習の質をたかめようというのが、ボーディングスクールの教育ではないかと思います。
しかし、評価点を設けることで、簡単に生徒たちが自発的に努力をするでしょうか。おそらく、生徒たちは自らが納得するような根拠がなければ、勉強にむけて努力をすることは簡単に身に着けられはしません。
努力の源には、自分とはという哲学がどうしても必要になると思います。中等教育は基礎学習であるから、そのような哲学よりも覚えるべきことを覚えるほうが先という意見もあると思います。しかし、精神的な成長著しい生徒たちは口には出さなくても、何のために努力なのかということへの回答が必要ではないかと思います。
今までかなり多くの保護者の皆さんと留学をテーマにして話をしてきましたが、「学生時代にもっと勉強しておけばよかった」という述懐は頻繁に聞きますが、「学生時代に勉強した」という人はほぼ皆無です。
なぜ多くの成人した人たちが、社会に出てかなりの年月経てから勉強の重要性を説くのでしょうか。それは、勉強することが、実生活で役に立つと思うからではないでしょうか。
実生活で役に立つということは、ひいては社会に貢献できる、より積極的に社会に参加できるということに他なりません。そのための基礎は、無条件に覚えることではなく、努力することの根源を考えることにあると私は信じます。幸いなことに、中等教育時代の留学は、否が応でも生徒たちに努力することの哲学を与えてくれる環境を提供できるのではないかと思います。