アメリカの教育文化と日本の教育文化
ハーバード大学の入試プロセスは、そのまま高校そして中学のボーディングスクール入試プロセスと一致します。その要点をまとめます。
① 成績、学力試験、学校生活での実績などの総合評価による合否判定
② 学校主催の試験がない
③ 志望の動機と入学後の目標が重視される
④ 面接も重要
⑤ 受験前最終学年のみの追い込み学習はほぼ無理
年に1回の試験の結果で合否が決まる日本の入試制度のほうが、アメリカに比べてシンプルであり、受ける側にすれば学習目標や範囲を設定しやすく短期での集中準備が可能です。
その反面、覚えることに重点が置かれるため、教育が本来目指す人格形成や社会的責任ということよりも点数を上げるという矮小でしかも競争原理のなかに若者たちを閉じ込めてしまうという欠点もあります。
もちろん、若者は受験的価値観で一生涯を生きるわけではなく、その時期を通り越せば暗記作業から解放されます。
暗記を重視せず、あくまでも受験者の考え方や特徴、個性を重んじるアメリカの教育文化は、かれらの社会の在り方を反映しているともいえます。
アメリカ社会は日本に比べて、学歴を重視しないとも言われていますが、それは学歴ではなく、学閥ではないかと思います。すなわち、どこの大学を出ようが、問題はその人が何をできるかであり、大学ごとに徒党を組むということには意味がないとアメリカでは考えられているのではないかと思います。
ハーバード大学を出たということは、それなりの能力を期待されているわけであり、それに見合った仕事ができなければ、その個人は能力がないとみなされます。
アメリカでは、学歴が上がれば上がるほど、学習の内容が高度になり、実用に即したものになっていきます。そのためには、高度な読解力と自己表現力が求められます。それゆえにリベラルアートという広範囲な教養を身に着け、読み書きを鍛えることが、中等教育、そして高等教育前期の学習の中心になるのではないかと思います。
日本では、大学入試をピークにして、学習の質と量が劇的に変化します。大学生のアルバイト、サークル活動などは、入試から解放された学生たちの次の段階の社会学習として有効に機能しているのかもしれません。一般教養と呼ばれる2年間の大人数、講義形式の授業から何を学ぶかを疑問に思っている学生たちは少なくないと思います。
日本の文化でもある組織への強い帰属意識から個人と組織の対等な関係にバランスよくシフトしてけるように、少しばかりの協力ができればと思います。