♯4 アメリカボーディングスクールと大学での教育
<先週火曜日のブログに続きます>
テンスクールズやESLのないランク4のボーディングスクール群を訪問して、殆どの日本人家族は、「これが高校とは思えない」という感想を抱きます。広大な敷地に展開される体育、芸術、音楽施設、そしてそこで学ぶ生徒、先生たちの表情および態度からすればそれも当然のように思います。
リベラルアーツと呼ばれる大学の学生数は5000人以下と言われています。リトルアイビーと呼ばれている入学難易度が高く、多くの優秀な人材を輩出している大学群は総学生数が2000人から3000人くらいの規模が主流です。
ボーディングスクールの平均生徒数は300人程度ですが、このシリーズのブログで述べたとおり高校と大学での授業、特に文科系授業においてはかなりの類似点があると思います。
日本と比べるとアメリカのボーディングスクールとリベラルアーツ系大学群の授業は少人数で行われます。そしてその内容はディスカッション、かなりの読書量、そしてかなりの量の文書作成から成り立っています。それらの授業の目的は、授業に参加する生徒、学生にものの考え方、着眼点、多様な意見の容認、議論の方法などを学ばせるものであることのように思います。
日本の大学受験で受験生に必須となる忍耐、要領、膨大な暗記量などは、アメリカボーディングスクールが生徒に求めているものの主流ではありません。その違いは、アメリカでは大学浪人という教育文化がないことからもうかがい知れるのではないでしょうか。
目標とする大学に受け入れられなければ、1年待って再度チャレンジするのではなく、自分を受け入れてくれる大学で学び、どうしても目標としていた大学で学びたければ、2年時、3年時、あるいは大学院で学ぶのがアメリカの教育文化のように思います。
ジュニアボーディングスクール時代を含めれば、中等教育と高等教育の10年の期間、アメリカでは沢山の本を読み、多様な考え方を学び、議論を重ね、自分を合理的に主張するということに慣れていきます。
もちろん、彼らにとっても忍耐、継続、克己の精神は必要とされるでしょう。暗記の代わりに、恒に読み、考え、それを文章にまとめたり、発表したりすることは、すべてが楽しいプロセスではり得ません。しかし、中等教育、高等教育で身につけた教養は、一生涯、彼らにとって使える知識となるように思います。
教育の選択肢、それは現代の社会においては、グローバルであっていいと私は思います。