生徒を受け入れるということ
「テストの点だけで生徒を評価するのはおかしいと思います。」
「では、何で生徒を評価しようと言うのですか。」
「勉強以外で、誰にでもいいところはあるでしょう。」
「アンタ、何、言っているんですか・・・」
これは、留学を控えたある生徒から聞いた、その生徒とある先生との会話です。
「あの生徒は、スポーツは得意だけれど、学習に関しては、いいとは言えないね」
「スポーツが得意というのは、とても素晴らしいことだよ。すべての生徒が同じではない。それぞれに長所もあれば欠点もある。勉強という点だけで生徒そのものを評価できないよ。」
この会話は、私とあるボーディングスクールのアドミッションスタッフの会話です。多様性を尊ぶボーディングスクールとしては、
それぞれの生徒の個性を尊重するという点において、
このアドミッションスタッフも明確な理念を持っていると言えると思います。
一方で、冒頭の生徒と先生の会話は、信じがたく、その生徒の創作ではないかと
思わせるほど、先生の見解は偏っています。
その生徒は、さらにその先生に対するエピソードを続けます。
放課後の補習時間、学校の方針で課外ではあるけれども、
生徒に1時間の居残り学習の時間をつけているのだそうです。
学校の方針に従うのは生徒、それを指導するのは先生ですが、
予定より30分遅れて、その先生は到着、「遅刻」を生徒が指摘すると、
「なぜあなたたちの面倒をそこまで見なければいけない」
とその先生は、言ったそうです。
これもにわかには信じがたいのですが、その生徒が私に対して、
作り話を語る必要もないように思われます。
その生徒は、学業という面では、確かに平均以下かもしれませんが、
私に対する態度は、とても素直で、礼儀を欠くこともなく、
約束の時間もしっかり守ります。
仕事柄、いろいろな生徒と接しますが、スポーツが出来て、明るい性格、
礼儀正しい生徒は、きっかけをつかめば、
成績を伸ばすことも可能であると確信します。
勉強の良しあしは、ひとえに生徒のやる気にかかっています。
それ故に、勉強という面だけをとらえて、生徒の人格を傷つけるような
言動は許されないと私は思っています。
より厳密にいえば、許されないのではなくて、
そのような価値観を持つほうが、人としてよほどおかしいと思うのです。
知識の集積のみで、人が判断されるわけがないことは、
小学生でもわかるのではないかと思います。
なぜならば、そのような価値観を教える教育はどこにもないからです。
冒頭の生徒は、必ず留学で結果を出します。
私はそのように心底思っているので、その生徒もこころを開いてくれます。
そのために、その生徒が今何をしたらいいのか、しなくてはいけないのか、
これから彼とのコミュニケーションが、留学を媒介として行われます。
その決断をした彼を私はまず褒めてあげたいと思います。