ニュージーランド留学-♯4 知識教育から創造教育へ
<火曜日のブログに続きます>
生徒の応援者としてESOLの先生といえばとても理想的なように思えますが、正直なところニュージーランドのESOLクラスの私の第一印象は、これで生徒が英語をできるようになるのだろうかというネガティブな意識でした。
教科書、ガイドブック、さらにはドリルなどがESOLクラスで私が参観したクラスでは「目撃」できなかったので、私は少しばかり不安になったのだと思います。
私のブログを連続して通年閲覧していただいている皆さんであれば、アメリカボーディングスクールのESLクラスについても同様の印象を私がブログで述べているのを思い浮かべていただけると思います。
中等教育において教えることのスクリーニングが日本ほど徹底していないのがおそらく英語圏教育の特徴なのでしょう。
そこまで介入しないことがそもそも英語圏の国の教育方針なのか、あるいはいい加減であるのかといえば、明らかに「いい加減」と私は言い切れます。しかし、そのいい加減さが、そこで学ぶ生徒たちに日本よりも広範な興味や好奇心を解放するとともに、やる気を起こさせる根源にもなっているように思えてならないのです。
「教科書どおり」という価値観も現代においてはかなり錆びついている概念になっているかもしれません。
少なくとも、現代の生徒たちの本音はそこにあるのではないでしょうか。スマホをシュッシュッと撫でれば得られる答えをなぜ覚えなくてはいけないのか。覚えたことがどのように自分の将来に役立つのかあるいは、将来をかたち作るのかと若者たちは単純な疑問を抱き、その回答を持っているのではないでしょうか。
私は少なくともそのような疑問を英語圏のアドミッションスタッフが「肯定する」発言をかなりの頻度数できいています。
しかしながら、朝の電車のなかで目にする制服姿の高校生たちは、私の時代と相も変わらず一心不乱に赤字入りの参考書を見入っています。その一方で、大学生と思しき人が同じように赤字いりの参考書に集中している姿は目にしません。
中学生、高校生はもっといろいろなことに興味や好奇心を持ち、知的でなくても探検や冒険が身近にあってもいいと思うのはわたしだけでしょうか。
つづく