日曜コラム 支えること、支えられること
先週、携帯に未登録の着信がありました。
返信をすると、アメリカの大学に通う以前にお世話した生徒からでした。
正月にその生徒から連絡があり、ビザの相談を受けたのですが、
私の専門外の領域だったのでお世話が出来ず、気がかりだったのですが、
結果報告のための電話でした。
その生徒は、ボーディングスクール留学中に、
私に渾名をつけて、家族間では「斉藤」ではなく、
渾名で通していたようです。
ことばに関することに特に、能力を発揮したその生徒は、
留学して1年半ほどでテレビ、映画などほぼ理解できるようなったそうです。
日本では、無縁ともいえたスポーツも、ボーディングスクールに留学して、
目覚めたようで、その生徒の寮の部屋には、ホッケーのスティックや
スノボーセットなどが置かれていました。
日本の学校に在学中は、自由な校風で知られる学校とはいえ、
受験対策にまでは「自由」が及ばず、その流れに乗ることが嫌だったその生徒は、
中学校3年時、留学に自分の可能性をかけたわけですが、それは成功でした。
留学して3年ほどで、特別な準備なしに受けたTOEFLが98点でした。
この点数の英語力であれば、早稲田、慶応も合格圏になるところですが、
本人は日本の大学への入学には断固反対し、アメリカの大学へと進学しました。
留学中、その生徒は多くの人たちに支えられました。
家族は言うまでもなく、留学して2年ほどは、正規の授業以外、週に2回は
個人教授も受けていて、その先生にもとても支えられました。
日本での大学受験体制に乗れず、精神的支えにも難渋するなか、
やはり、留学はその生徒の一生を左右した決断でした。
その生徒とは、何度かランチを一緒に食べました。
言語能力に優れ、1年半という期間に生活英語をマスターしただけでなく、
日本では、悪く言えば落ちこぼれ枠だった生徒が、
留学して3年ほどで、英語の小説も何ら問題なく読めるようになり、
アメリカの社会についても、自らの意見をはっきりと持つようになった
その生徒から私は、ボーディングスクールの現実について、
たくさんのことを教えてもらいました。
留学した生徒から聞く、ボーディングスクールの現実は時として、
ショッキングなこともありますが、それが現実であり、そこにも多くの
学びのチャンスはあります。
私は、それらの情報からボーディングスクールへの留学を組み立てもすれば、
分解もして、実行する生徒にできるだけのメリットが与えるための方法と
表現を模索します。
それができるのも、協力者たる人々がいるからです。
「支えるから、支えられる」、コンサルタントをしていてよかったなと
思う瞬間が、これからも増えるように、留学する人たちとその家族を
微力ではありますが、私のやり方で支えるよう努力したいと思います。