自分を変えるこころみ
おおくの中学生、高校生が自分を変えたいと思っています。
きっかけは様々ですが、自我の目覚めのころ、小学校時代とは違う自分への
探求が始まり、その結果、異文化にチャレンジしたいと思う生徒がいます。
日本にいて、自分が変えられないわけではありません。
また、海外に行ったからといって、自分が思い通りに変わるわけではありません。
しかしながら、どうにかして現状を変えたいという彼らの希求は、
時として親を驚かせ、迷わせもします。
なぜ、どうして、彼らは自分を変えたいと思うのでしょうか。
既存の教育に疲弊していて、行き詰っているからでしょうか。
教育よりも、今の日常が彼らにとって問題なのでしょうか。
それとも、未知なもの、ことに対して、チャレンジしたいという素直な
探求心によるものなのでしょうか。
あるいは、自我が目覚めるころに、「新たな世界での教育を」という
親の切なる思いを子が受け入れたからでしょうか。
いずれにしても、自分を変えるこころみが異文化で行えることに
感謝の気持ちを持つということが、彼らの納得できる人生への第一歩となります。
異文化での最初の日々は、うら若い歳ゆえに、後悔の念もあるでしょう。
しかし、それでチャレンジにピリオドを打つほど、子どもたちの精神は
情けないものではありません。
郷に入りては、郷に従えということの実践を彼らは
誰から教わることもなく平然とやってのけます。
学ぶこと、覚えることに対する既存の概念から解放され、
新たな環境でたくましくなっていく子どもたちを見ている親は、
やがてやって来るだろう我が子の精神的な自立に一抹の寂しさを感じながらも、
これから来るべき社会を考えると、家族の選択が間違っていなかったという
自身の信念を再確認して、それぞれの家族が新たな段階に入ります。
高校から大学へ進学するころには、留学生たちは、おおよそのことは
自分で考え、行動できるようになります。
自分が何を望み、どうしたいのかということを、単なる学習が到底
教えてくれるものではなく、また創造もしないことを、
彼らは自然に身に着け、大学で学ぶことと、自分が達成したいことの
バランスを追求するようになります。
もちろん、コミュニケーション力が大学での学習の基礎になることは、
異文化での学校生活を通じて、明確に認識しています。
彼らの未来は、自分自らがどれだけ明るいかを決めるものだということを
彼らは十分に知っています。