日曜コラム 母との散歩
週末の母との散歩、もうすぐ2年目になります。
毎回、45分ほど、特別養護老人ホームから、箭弓神社(やきゅうじんじゃ)に行き、
「母がはなせるようになりますように」、「健康で長生きしますように」と
祈願して、ホームに戻ってきます。
ウィークデイは、私の妹と弟が、ホームから車で5分ほどのところに住んでいるので、
彼らがホームを訪れます。
母が脳出血で倒れた時、家にはだれもいませんでした。たまたま訪れた、
ご近所の方に見つけられ、脳外科の救急病院で手術を行ったのですが、
言葉を話すことと、右半身の機能に障害が残りました。
入院した脳外科病院を3か月ほどで退院し、リハビリのできる病院に移りました。
そこで半年ほど、リハビリを行い、実家の町に新設された特別養護老人ホームに
移りました。
妹と弟は母の実家から徒歩で5分ほどのところに住んでいました。
母が倒れる前日も、妹と母で昼食を外でとり、
まったく変わらない日常だったそうです。
母の住んでいた実家に彼女が帰ることはありません。
私たち兄弟は母のいなくなった実家に良く集合して、庭の手入れや家の掃除をします。
先週、実家で暮れの大掃除をしました。
妹は台所回り、弟は庭と物置、私は庭とガラス拭きでした。
仕事が終わると3人で昼食、そして私はそのあと、母のところに行き、
いつものルーティーンで、母と散歩に出かけて、家に帰ります。
母は、たけという名ですが、私たちは「たけちゃん」と呼びます。
実家の掃除を終えるといつも3人で
「たけちゃんは、一人でこんな仕事をやって、ゲートボールや野菜作りもしてたんだよな。毎日、忙しくやっていたよな。話ができるようになればいいなあ。」などと話します。
母が健康だったときは、1か月に1度も実家を私は訪れることはありませんでした。
しかし、今は、出張など特別なことがない限り、毎週、母に会います。
母は幸いにも、消化器は丈夫で、食事は良く摂ります。
1年に一度くらい、おばさん(母の姉)が、いとこたちと一緒に母のところを訪れます。
実家で掃除をしていると、近所の人たちから母の様子を聞かれます。
隣のアパートにいる外国人もHow’s your mother?と会えば声をかけてくれます。
母とのコミュニケーションは、おおよそが一方通行ですが、
それ故に、いろいろと母には話を聞いてもらえます。
母には、とても感謝をしています。