休日コラム 老いて子にしたがうこと
老いては子にしたがえということわざがあります。
それを実感できる、あるいはそうしようと思う年齢とはいつごろでしょうか。
体の年齢という物理的事由よりも、精神が体に及ぼす影響のほうが、
老いることにしても、子にしたがうかどうかを考えることにしても、
大きいのではないかと思います。
自身のことを考えてみると、つい最近まで体力は
まだまだ息子たちには負けないと思っていたのですが、
次男と握力を比べてみると、驚いたことに50と70で20も差をつけられていました。
彼は27歳で、養蜂という力も必要とする仕事ですから、
この結果は当然といえば当然です。
それでも、私が20年も前の意識でいるところが問題なのでしょう。
そのような時期がまさに、「老いては子にしたがえ」を
実践しなければいけない時期なのかもしれません。
体力という面では、子にしたがうこと、子に任せることは、必定であるとして、
精神、知識など人生経験においてこそ、できることであるならば、
子に任せるべきなのでしょうが、現実的にはその原理にはなかなか従えません。
つい自分流を子どもにも強制してしまいがちです。
強制しても成人である子どもは、わが道を歩むとわかっていても、
無意識に自分の「意」を通じさせようとしていることが、
最近になって客観的に見えるようになってきました。
わが子であってもその人生をコントロールなどできません。
それでも、欠点ばかりを探している自分には、
「老いては子にしたがえ」ということわざは
至上命令であってもいいのかもしれません。
したがうというのを認めるという言葉に置き換えれば、
欠点を探すよりも、良いところを探すようになれるのではないかと思います。
そうすると、自分の子どもに対する気持ちも大らかになります。
我が家の場合、家内は次男の養蜂に対して、積極的にサポートしますが、
ダメ出しも多いのも事実です。
しかしながら、次男がうまく、家内のダメ出しをこなせるのは、
母親特有の母性愛があるからなのでしょうか。
いずれにしても、私と家内が同じことなど
ありえないということが、最近の発見です。
コンサルタントとして、私がお世話する生徒の良いところを探すことは、
長年の習慣として私の当たり前ですが、いよいよ、それをわが子に
適用するという年齢に達したのだと思います。
そのように感じるお彼岸の日でした。