#5中等教育の目的 青春の特別性
<昨日のブログに続きます>
2020年から受験英語試験に読む、書く、聞く、話すという4技能が盛り込まれることについては、「使える英語」という視点から考えると大きな進歩のように思えなくもないのですが、それを受ける生徒の側からすると、受験対策に要する英語の時間配分が増えただけということでは、かれらの意識という点においては、進歩ではなく、後退しているように思います。「やらされている」という気持ちでは、楽しく勉強することができません。
思春期だからこそ、その時期の子どもたちが持ちうるいろいろなものへの好奇心やスポーツ、音楽、芸術に対する興味と可能性もできることなら発見してもらいたいと思います。中等教育の目的は大学入学のための準備ではなく、この時期でなければ持つことが難しいことへの徹底追求であってほしいと思います。そうすることで、子どもたちは自己を少しずつ、あるいは大きく固めていけるのではないかと思います。
従来型の教育には、自己の確立という子どもたちの内面からの成長については、ほとんど触れられていなく、知識体系としての学習に特化されている傾向にあるのではないでしょうか。
「自己確立などと言っていては、受験競争で勝ち残れない」という意見もありますが、結局、知識をいくら増やして、いい会社に就職できたとしても、そこから始まる人生のいわば激レースに勝ち残れるのは、自分自身の生きる価値観を確立させている人に他ならないと思うのです。
世界を俯瞰してみれば、日本は先進国であることは、誰しも認めることですが、成熟した社会では、自分の価値観が明らかに問われます。日本の場合、自分を見つめるための学習や研鑽は大学に集約されていて、そこに至るまでは問答無用で勉強させるということが暗黙の了解になっているように思います。
それ故に、大学に入ってから、学問的には一番成熟している時期に勉強からどんどん遠のいてしまうのではないでしょうか。暗記はもうたくさんなのです。
今こそ、「なぜ勉強するのか」という子どもたちの素直な問いに大人たちは答えなければならないと私は思います。英語にしても4技能を試験に入れるならば、それがいかに彼らの未来とかかわりを持つのか、ということが学ぶ側に徹底できていなければなりません。
彼らと真正面から向かい合い、彼らの精神のニーズを満たすためには、先生と生徒とのコミュニケーションも必要でしょう。
つづく