#2 中等教育機関への留学の意義
<昨日のブログに続きます>
昨日の中等教育機関への留学の意義の第四番目に自己に対する新たな認識ということを挙げました。日本にいては大学受験に忙しすぎて、「自分」を見つめるためにゆっくりと流れる時間を見出すのは難しいかもしれません。
本来であれば、大学で一番深く自分のやるべき勉強を追求するところが、実際はアルバイトと同好会が中心になり、勉強の時間は大学に入る前が最大というのが、日本の学生の現実ではないかと思います。大学に行って自由に自分の道を切り拓ける時間と機会が与えられても、それが活用できなければ、空しくなるばかりです。
「あれだけ勉強したのに、何も役に立っていない」、「何のための受験勉強だったのだろうか」、「勉強とは暗記するだけのこと」などと、自分の生き方への哲学が見いだせず、結局、若い人たちの好奇心への活力が失われてしまうという現象は、先進国が持つ必然なのかもしれません。
与えられることに慣れきって、それが当たり前になった人たちに、留学は厳しい現実を突きつけます。それは年齢にほぼ関係ないと思います。大学時代に留学しても、中学、高校時代に留学をしても、自分がどうしたいのかということが、日常に問われることになります。スケジュールされた毎日を淡々とこなすうちに、忘れていた自分が留学ではクローズアップされるわけです。
「そんな難しいことは中学時代には到底無理」、「言葉と生活の二重の負担に耐えられない」と思われるかもしれませんが、実は、中学、高校生の卒業を目的とした留学で当初の目的を達成できずに帰国してしまう生徒は百人に一人か二人というのが、現実なのです。
おそらく、それは生きていくために人が人として備えている本能のような機能が働くからではないかと思います。そして、十代前半の生徒たちにとって、その本能に基づいて生活を組み立てることは、思っているよりも簡単に、なおかつ楽しくできるのではないかと私は考えています。
日本では中学、高校時代というのは、やるべきことが整然としているために、リスクをあえて取らないことがいいとされていますが、この時期だからこそ、長い人生を考えて、価値のあるリスクを進んで取ることもまた、グローバルな時代に呼応した生き方になると思います。